なぜ自主上映をするのか
インクルーシブ教育
これがキーワードにはなるのだが、なんともしっくりこない。
新しいものに飛びつくような感覚も分からなくはないが、違う。
特別支援からインクルーシブ教育へ。このことは約20年も前から主張する本があったくらい、本当はずっと言われていたようだ。
ただ、本来は分ける、分けない、の対象が「特別支援」なのではない。
みんな、一緒。
とてもシンプルだ。
なぜこんなにも今、複雑になっているのだろうか。
分けることは、分けている方は良くても、分けられるほうは嫌かもしれない。
私たちは、教育の在り方だけでなく、人との接し方、関わり方を見直す時なのだと思う。
映画は、場が学校ではある。
だから何もできないのか?
だからあきらめるのか?
違う。
ひとりひとりの心に、火が付く。そんな講演や上映会なのだ。
発起人の二人の母ちゃんは、その火がボーボーと燃えて体の外まで見えるくらいだった。
ただそれだけだ。火の大きさは小さくても十分素敵な灯。私たちは大きかっただけ。
自分たちが生きる社会で、ともに生きる仲間、地域の人と、もっと繋がって、
「この地域は大丈夫」と自信がつく、そんな場になると信じている。
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